マイノリティ0705

講評が終わったら一週間ぐらいバイトを入れないと多分大変なことになる。
という決心をここに表明するが、働くのが凄い嫌なのでどうなるか分からない。

フィリップ・K・ディックのマイノリティリポートというSF小説は物凄く面白いのですが、それを原作として作られた映画は、表現はともかくストーリーは糞です。うんこです。ゴキブリ以下です。
小説版とラストが全然違います。
180度ぐらい違います。
まあそんなことはどうでもいいよな。


高校の時ぐらいから今までで十回ぐらい読み直した文庫本があります。
塩野七生のサイレント・マイノリティという本です。
エッセイ集なのですが。基本エッセイというものがわたくし大嫌いです。
それでも読んでるのは、塩野七生が結構好きだからだろうな。

そのなかで塩野七生世代(要するに昭和二桁初期世代)を表す言葉として、サイレント・マイノリティという造語が出てきます。
「焼け跡派」のすぐ次の世代、そこはなぜか自己主張することのない奇妙な空白地帯で、戦争体験を直接に体験せずに、そしてまた戦後直後の飢餓感を常態として育ったがために、不満を不満と感じずに育った世代。
塩野七生はそこで古代ローマ人の格言を援用して「夢もなく、怖れもなく」ということばを当てはめます。感受性が乏しいという意味で使ったのではなく、夢と恐れのどちらにも傾かないメトロノーム、行動的ペシミスト
塩野七生のマジョリティへの視点は往々にして語られませんが、自分を含めた世代感覚をマイノリティという枠で覆ったのは少し興味深い気がします。


などとちょっと頭良さげに締めてみたけどぶっちゃけだから何?だよな。
ただ、自分を含む(あと加藤とかitkzとか)世代はどうやら「恐れ」しかない、発言しないと不安でたまらない世代なんじゃないかと思うんだ。
誰かが誰かを見てることに異様に反応したりとか。
まあ気のせいなのかも知らんけどな。

絶望した!」をマジで言うのは正直寒い。
ギャグだからこそ生きてくるんだろうな。あんまし活きてない言葉が。
ポジティブなネガティブ表現。
逆はネガティブなポジティブ表現。「絶望してない!」
知らんがな。めんどくさい。