屠殺

作品をつくる際に見せる相手に媚びるかどうか、という問題をずっと考えていたのだけれど、このあいだ篠田太郎がアヴェちゃんに、
「でも究極的なことを考えると全部意味なんてないしね」
って言ってたことがちょっと残った。

まあつまし広大な宇宙の広大な銀河系の広大な太陽系のたまたま条件のいい土塊の上の、極東の島の住人である俺らが悩んだりしてもまあ意味なんてないわね。
だからまあ自分に気持ちいい人生を送れればいいんじゃないってことだったけど。

(ちなみに篠田太郎はNASAの人と対談したり、と自然科学的なアート活動を積極的に行ってる作家です。もともと日本庭園の庭師でしたが、30過ぎぐらいにアートに転向したようです。作品は好き嫌いが分かれると思いますが大人の中では比較的にも話しがしやすい人です)

他人に迷惑かけないのが気持ちいいと思うなら就職活動すりゃいいし。
まあわたくしはしませんが。


で、「全部に意味なんてない」というセリフで思い出すのは、
火の鳥の鳳凰編の我王の悟りを得るシーンです。
大笑いしながら「生?死?そんなものがなんだというんだ?
宇宙に比べればみんなちっぽけな塵じゃないか!」と叫ぶシーンは、
師匠の良弁上人が即神仏になった像とともに描かれていて、なかなか凄惨でもあります。
おそらく猿田は火で自らを切り開こうとする魂なのだろうけど、これはもしかしたらナウシカの火と樹の関係にも持ち込めるかもしれないなー。
暴力と死と破壊で道が開けることもあると思うのですよ。
生き物ならね。



きょう後輩に借りた西島大介のアトモスフィアが異様に面白い。
ハヤカワSF文庫はハマったらヤバいと思って手を出してなかったけど、
バイトしたら手を付けてみようかな…中古本から。
しかしこんなに絵が少ない漫画も初めてかもしれない。
明日買っちまうか。


画像は窯の温度グラフ。
この一年、願掛けのためにナウシカ写経を続けてます。

しかし読めてない本が多いなー…しょうもないなー