あのムラカミ

今日はムラカミタカシがどうしてつまんないのかというひとつの仮定を書こうとか思いましたが、とりあえず初めに、今日の自分の行動を書きたいと思います。
日記だし。



六本木に行きました。ギロッポンです。
ターナー賞展を見に行きました。森美術館でやってるアレですね。
予想以上に面白かったのでカタログを買ってしまったことが痛い出費です。
つーのも今日は漫画系統のものしか購入しない気概で都会に赴いたものですからねー。なんかねー、お金がねー。
カタログは今回のターナー賞展のカタログ、というよりはこれまでのターナー賞の歩み、と言った趣で、そんなにサイズがでかくないのが利点であったりするんだと思います。
まあ細部は見にくいがね。\2600です。

ギロッポンに行ったら見に行ってしまうのが東京ミッドタウン
自分物欲の固まりですから見てるだけでも楽しいですがやっちまった。
やっちまった。
DEAN&DELUCAっていう地下の食材屋の香りが芳しいからついセールのクローヴとペピートソースを買っちまった。\920
調味料は長持ちするからとか自分に言い訳してるけど明らかな無駄遣いです。ほんとうにありがとうござ

ついでに自分ちの箸がボロボロになりつつあるので箸も買いました。
良い箸でも安い奴は安いです。\210

食材関係の話しで繋げますと、東京ミッドタウンは作家ものの器を扱っているお店が多いことでも見がいがあります。
棚橋祐介の作品は前から気になっていますが、クライン・リードとかの花器も嫌いじゃないです。
あと今日の発見としては、自分のつくってる器って無意識にしろ、なんか薩摩焼に似てるなって思いました。


そのあとは漫画系統を大人買いです。わー
・アトモスフィア1、2巻
 この漫画って一巻で1000円以上すんのな。びっくりした。
CLOTH ROAD6巻(脚本/倉田英之 漫画/okama)
 一巻でもちょこっとあったけど、グロテクスな表現がこの巻で一気に出てきた。少し驚き。
・凉宮ハルヒの消失(文庫)
 面白かったからもう読み終わっちゃったよ…。

月刊コミック電撃大王8月号
・月刊コミックビーム
 (自分は子供時代に雑誌を買ってもらう/自分で買う、という経験を全くしなかった人間です。だから小学校の時に自分の内外にあった「漫画」は江川達也の「タルルート」と、学校の図書館にあった「火の鳥」「ブッダ」「ブラックジャック」、そして「銀河鉄道999」でした。自分の若干古いセンスは多分ここら辺から生み出されてるんだと思います。あとひねくれた性格は江川達也から。ついでに言うと、今漫画やらなんやらにハマっているのはこういう経験からの反発なんだとは思います。つーわけでオタクになりきれないオタクである自分はたぶんこれからもオタクに成れないのでただの気色悪い子供でしょう。たぶんな)
 コミックビームは表紙に惚れました。(→http://itness.tumblr.com/post/40639479/no-where-now-here-skaholic-hanemimi-via)やっぱりしりあがり寿さんは面白いです。いままでメメントモリぐらいしか読んだことないから、この雑誌は買い続けてみよう、か、な。
 電撃大王は「よつばと!」と「ガンスリンガーガール」と「苺ましまろ」が連載されているという時点で購読すべきものと判断しました。つーか雑誌って形態に慣れてないからなんか新鮮なのか。
 あんまし関係ないですが電撃大王はジャンプの匂いがして、コミックビームは青年向け雑誌の匂いがします。インクの匂いの話です。使ってるインクが違うのかな?

つーわけで漫画関連書籍は\4569ですね。
あー あー
ヤバいな。

展示を見たのも含めて、今日使ったお金計算するとほぼ10000円ですね。
あー 桁がー
あー やーばーいーなー。
あー






話しを戻そう。
村上隆がつまんなく見える仮説、というのを思いついたのは六本木ヒルズ内の本屋とかをぶらぶらしてる時だった。
六本木ヒルズのコンセプトとかに村上隆は関わったんじゃなかったっけ?
じゃあなんでマンガを売っているお店がないんだろー、
というのが疑問の出発点なのですね。

まあもちろん、六本木ヒルズを建てた財団法人がイメージの低下を恐れて、マンガを売るお店をつくらなかったというのが一般的ではありましょうが。
それにしても村上隆の漫画、アニメへの言及ってそういやあんま聞かないな。勉強不足なだけかも知らないけど。

会田誠は自身の画集の中で「自分がマンガという表現を使って、自分の作品という物をつくったことにはきっちりとケジメを付けたいと思う。いつか自分でマンガというものを描いて、それを新人作家のように講談社かどこかへ持ち込みをするべきだと思っている。はち切れそうな心臓の鼓動とともに。それがマンガという表現とマンガを取り巻く諸々の人たちに対するケジメだろうから」というようなことを書いています。
会田誠はマンガオタクではないです。自分でも言っています。会田誠は一介のアートオタクでしかありません。ついでに結構あきれるほど真面目な人でもあります。
会田誠が好きな理由はたぶんこの辺にあるんだろうな。

ともかく村上隆が、マンガという表現を援用して(悪く言えば盗用して)自身の作品をつくったのに、マンガに対してケジメをつけてないなーとは漠然と感じるのです。感じたのです。
なんとなくマンガをローカルチャーとして見ている視点があるような…気のせいかなー。


それと今回載せた動画についてもそうですが。
このまえ書いたかもしれませんが、いつ頃からか自分はネガティブなポジティブ表現を嫌うようになっています。要するに「絶望してない!」ですね。
日本の「現代」アートシーンは冷め醒めしい、というのが一般の解釈なのだと思います。今日見たターナー賞展に関連づければ、英国では一般人やその辺のおっちゃんでも「現代」アートについて語り得る自分の言葉を持っているようです。日本はぶっちゃけ美術に興味ない人はそんな言葉を持ってません。
「んーあーまーよくわかんねーやー」です。
それが普通であり、またそれは変わらないし変わっちゃいけないんじゃないか、と最近思ってたりします。

それはともかく、
「絶望的な状態」というのがもし人々の頭の中に横たわっていて、その状況でだれかが「絶望してないよ!」と叫ばれれば、まあその人はほんとに絶望してないのかもしれませんが、ムカつきます。知らねーよ。俺は絶望してんだよ。
だけれども、そこで「絶望した!」と叫ばれると、何となく、何となくだけども笑えたりできんじゃないのか、とか思います。「知ってるわw!」みたいな感じに。

たぶん村上隆がつまんないのは「何かが起きるよ!」と言ってるからなのです。
確かに「現代」アートシーンは蘇りつつ(産まれつつ?)あるように思えます。まあしかし、その辺のおじちゃんおばちゃんが取り憑かれたようにアート座談をするわけでもないし、そもそも「現代」アートが日本人に売れまくってるわけではないのです。顧客は中国です。
「アートってそんなになんか格別凄いことは起こってないよな…」という意識のある中で、「何かが起こるよ!」あるいは「何にも起きないことも無いよ!」みたいなことを言われたら「ハア?何言ってんの?」ってなる気がします。少なくとも自分はなります。
ここで笑かすんだったら「マジなーんにも無い!」って言った方が笑える気がします。まあ笑かしてどうするって話しでもあるんですが。少なくとも「なんか起きるよ!」ってずっと言われ続けて何も起こらないよりかは、「なんにも無いよ!」って言われて何にも無い方がニヒリズムに落ち込む度合いは低いように思えます。
村上隆がつまんないのは、ネガティブな状況でポジティブ表現をしてるからなんだろうか。ネガティブな状況で、ネガティブな表現を、勢いだけをポジティブにして放り込むことは出来ないんだろうか。
「いま!すげー!めっさ!絶望してる!」


まとまらない考えを書いて放り出す。
まあとりあえず、芸術企業論は図書館で読んでみましょうか。
批判するにも相手のことを知らないとね☆

(この仮説で「現代」を括弧でかこっているのは、そもそも日本のアート市場はそんなに小さくないからです。日本で言う「現代」アートは、『二科展とかに属さない、古い言い方をすれば「前衛的な」平面作品、彫刻彫刻然としたものではない立体作品、映像、インスタレーション、その他諸々』です。「現代でないアート」と不当にも名指されているものは、主に工芸とされている陶器や漆器とかです。こちらの市場規模は半端無くでかいです。 まあ村上隆は「アート市場をつくりたい」と言ってるわけで、日本の中に「現代アート」市場をつくりたいわけではないんだろうな…多分)