森鴎外


今日一日朝から晩まで制作、言葉を発してないので話題がゼロです。
集中すると時間矢のごとし、ですね。


今日は森鴎外の『歴史其儘と歴史離れ』でも読みましょうか。
(→http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/684_18395.html

サイレント・マイノリティの中で塩野七生はこの文章を丸々引用しています。
実はこの文章は、歴史書き物家の中ではかなし有名な文章で、まあ歴史そのままなのか歴史離れなのかという歴史書き物家にとって重要なことを説いてるものなのですが。
ぶっちゃけそんなに突っ込んだところには鴎外さん突っ込んでないんですが。
っていうか森鴎外って昔読んでむっちゃ笑ったんだけど今読んでも笑えるな。
こーゆー愉快な人が古典にいっぱい居るから本読むのやめられないんだけどな。

実は「歴史其儘と歴史離れ」からもしかしたらフィクションと現実の関係性を少しだけ探れる気がして、もう一回読み直したのですが、
何せあんましにも突っ込んでないので、そういうメタ的なことを考えるにはもう少し時間と文献が必要なようです。

フィクションと現実の関係性、というのは「よつばと!」がなぜこんなにも面白いか、ということを考えた時にちょっと出てきた考えなのですが。
伊藤剛が、「よつばと!」を「こんなにも普通なのに、なぜこんなにもせつないのだろう。」と評していたことをも顧みつつ考えてみると、
よつばと!」は「三丁目の夕日」とかと違って、あくまでも現実の、現代の子供を書いているマンガな訳ですが、それがこんなにもせつなく/面白く感じるのは凄い。なんか、マンガってすげえなーって思います。
よつばと!」の次巻は8月に出るようです。楽しみだなー。

(こんなこと書いといてあれだけど鴎外の中に出てくる言葉が時々わからない。dionysisch←→apollinischってなんぞや?って調べたけど、dionysisch→ディオニュソス的、ニーチェが著書「悲劇の誕生」の中でギリシア悲劇の洞察を加える際に【ディオニュソス的】【アポロン的】という対概念を用いた。没我的陶酔と熱狂を特徴としている。apollinisch→アポロン的、ニーチェがギリシア音楽を規定するのに用いた類型概念。美と安らぎを特徴として、芸術の陶酔と忘我の躍動を表す。って今度はニーチェを読まなきゃあかんのか…。良い訳者を捜すところから始めないとなー…)

(忘れないように書いておくこと/////よつばと!のなかでの「よつば」は、あずまきよひこの中で、一番「マンガらしい」「キャラクター」として描かれていて、たとえば映画化の話があった時も、「よつば、だけアニメにして、他を実写にすれば良い」と言わしめたほどのもの。「マンガであること」と、「生きた人間でも良いこと」はフィクションと現実という構図に置き換えられるかもしれない、と思ってしまうのは早計なのかな?)