ミーティング内容

ピアノでもこんな爆音が出るらしいです。
Henry Cowell: Instrumental, Chamber and Vocal Music, Vol. 1

今日の議題は、「なぜ作るのか?」でした。
覚えている限りで書き出します。

・作る積極的な環境が無いとき、その人は作るという行為をどういったものとして捉えるのか。(作る積極的な理由が無いとき、それはもしかして「作らない」積極的な理由_つまりネガティブなマイナスのイメージとしての環境が整っていると言えなくもないか?)
 →制作という行動は何かに置き換わることがあるのか。

・無人島に行った時にもし画材が置いてあったらどうするか、という話が面白かった。
 →作れない、見せる人がいないと作れない。
  見せる人を捜してしまう。石とか猿とか。
 →画材があるんだったら以前にそこに人が居たはず、
  その人の痕跡をまず探して、そしてそこから作り始める。
 →世界にはかならず人は居るはずだから、絵を描いて海に流してみたりとか。
  あとは後々その無人島に来る人用に絵を残しておくとか。

・人は人が他に居ないという状況を想像できないんじゃないだろうか。(自分以外に意志を持っている者が居ないという認識のもとでは、自分という自我?意識?が産まれないんじゃないだろうか)

・面白くない物は作っちゃいけないんじゃないか。
 →「面白くない」ものとはどういうものか。
  「興奮しないもの」に置き換え可能?

・作品を作る際の個人的な出発点と、到着点である作品の社会的地点?はどのように解釈せるべきか。(他者との共通項を見いだすべきか…はたまたそこは無視しても良いレベルなのか?)
 →他者性を感じる、ということを自分の中に発生させたら、それが「大人」なのかもしれない。

・『作ること』の個人的な感慨とか
 作ること、は本能に近い、身体と精神を酷使して動かす何か。
 作り終わった物を作品とすることは、何かしらのおまじないが必要(?)
 肝は制作過程にある。忘我する状態である制作過程では、
 普段の生活では限定された範囲内を移動するしか無い意識が、
 すべての知識の上を覆いかぶさって思考する間を与えてくれる。
 すべてを忘れることとすべてを思い出すことは凄い似ている気がする。

おまじない
→アヴェちゃんが言っていた、美術を美術にするかもしれない最期の突き上げ。
 いたずら書きであることとアートのあいだの裂け目?

とりあえずの走り書き_

Sophie CALLE
Kiki Smith
Roni Horn

フラジャイル 松岡正剛
進化とゲーム理論—闘争の論理 J.メイナード‐スミス
まるくすタン—学園の階級闘争 おおつ やすたか

椹木野衣氏対話前編 日本心中より

すでにメモ書きでないメモと化している。
まあいいや