普通はどっち

東京都美術館フェルメールを見に行ったのですが、結構気になる事柄があったので書いてみたいと思います。ただ、かなり壮大な話というか、大きな価値観の話なので今日一日でまとめきれるかわからないけれど、とりあえず書いてみます。
上に載せている絵画は「マルタとマリアの家のキリスト」という名を付けられたフェルメールの作品の中では一番大きな作品で、要するに宗教画です。この絵の主題は今回の話とはあまり関係がありません。今日はこの絵の「修繕」の価値観についての考察です。

ネットを探しても一向に見つからないのですが、この絵はフェルメールが描いたあと、いろいろな人の手をわたってエディンバラスコットランド国立絵画館に現在は収蔵されています。その途中、おそらく1901年にスコットランドの実業家ウィリアム・アラン・コーツが購入する以前に、この絵にはある変更点が加えられました。それはキリストの背景、(右上の暗い部分)に青空が描かれていたというものです。小さな印刷物でしか確認できなかったのですが、それは絵の全体の雰囲気をぶちこわしにするような晴れやかな青空でした。なぜ青空が描かれたのかは推察するしか無いのですが、おそらくこの絵全体の暗い雰囲気が気に入らなかったか、キリストの「背後に」抜けるような青空があるという点が重要だったのかもしれません。とにかく、その青空は「修繕」の過程によりすっかりぬぐい去られ、現在はのっぺりとした室内壁があるだけです。


こうした修繕の過程を知った時、東京国立文化財研究所編の研究報告所に載っていた鳥尾新の論文を思い出しました。その論文は「ドキュメントとしての絵画_「王羲之書扇図」の画と詩」というもので、論旨は「ヴィジュアルイメージとテキストの関係について、コトバと視覚像はどのような補完関係にあるか」でしたが、実はこの論旨も今回の話に関係ありません。
関係あるのは絵画を愛して所有する人と絵画の関係性です。


王羲之書扇図の画は非常に特殊な変遷を経ていじくり回されています。
王羲之書扇図は、掛幅装、惟肖得厳による長文の序が上の方にあり、その下に団扇形の絵が貼られていて、そこには大岳周祟の五語四句が書かれています。
このテキストは、以下のような過程を経て現在のような形になりました。

1、画家・如拙が「王羲之書扇」の故事を扇に書く。
2、それを愛玩した大岳周祟が五語四句を記す。
3、これを得た大岳の弟子・子鞏全固が扇を団扇型に切り、掛幅に改装する。
4、惟肖得厳が子鞏から求められて画上に題を記す。

”そこにはある「物語」があります。それは時とともに成長し、当初のものとは物理的にも姿をかえて、今見る形に定着されています。この「物語」は歴史家にとってナラトロジーが対象とするものとはやや異なった特性を持つと考えられます。…
物語絵画は、あくまでも「物語」の閉じた世界を前提としている。…しかし「王羲之書扇図」の改装は、詩画軸という現象の持つ構造から予期できるものとはいえ、当初のテキストの意図を遥かに超えている。前述の四つの段階は、それぞれに既存のテキストを取り込みながら、新たなテキストを生成しているといえる。そして「改装」というテキストの物理的な構造の変化が、その内容を支える大きなファクターとなっていることも注目に値する。これは物語絵画に置ける物理的構造の変化が、普通「錯簡」とか「切断」とかによって退けられるのと好対照をなす。”


聖書を「原典」として持つフェルメールの絵画「マルタとマリアの家のキリスト」は、聖書という物語から分断され、フェルメールという物語に回収されているようにも感じます。とにかく、「青空」が消されたこの絵画は、フェルメールが無名であった頃に残された「愛された」記憶を消されて人類の遺産として残ったわけです。これは西洋の油絵が「残ること」に大きな意味合いを見いだすことにも起因するし、また「個人」という概念の強度にも関係があるように思われます。なぜこのような修繕を行うか、修繕学についての本を途中で読むのを辞めてしまったので、憶測で考えてみます。

まずはVermeerという名の「有名さ」のため、という理由。鳥尾新も論文の中で、絵画というテキストが他のテキストを呼び込むためには、その絵画ができるだけ「無名」であることが望ましいとしています。「無名」であれば作者の声を心配すること無く、「改装」することができます。つまりテキストとテキストがまるで「小さな物語」のように__優劣無くテキスト同士が並ぶ空間が立ち現れてきます。
これに対してVermeerの絵画「マルタとマリアの家のキリスト」では、「主題」を書いたVermeerと「青空」を描いた無名の画人では明らかに優劣関係が発生しています。もしこの「青空」を描いたのがVermeerと同程度に有名な画家であったのなら、「青空」は消されなかった可能性があります。Vermeerと有名画人とのコラボレーションとしての絵画が存在した場合もあったのかもしれません。
ただ、私は「コラボレーションとしての絵画」、特に「上塗りされた絵画」の存在があまり信じられません。(この場合の絵画は西洋圏の絵画一般を指す)それはVermeerなどの「有名すぎる」画家の過剰な評判に根拠を求めることができそうです。


余談ですが、東京都美術館フェルメール展の煽り文句は「光の天才画家たちの奇跡の作品群」でした。特に「奇跡」が何度も繰り返し書かれていたのには辟易しました。確かにフェルメールの絵は他の画家のものとも比べても秀逸で、光学の知識を駆使した正確な絵画の組み立てには感動し、またフェルメールの絵画が多数日本にやってくるのも「奇跡」なのですが。
何となく嫌な気持ちになるのは、フェルメールという「大きな物語」の匂いを感じるからなのだと思います。彼は天才だったかもしれませんが、それでも同じ人間なので、過剰な神格化はどうにかならないものでしょうか。


次の理由として、意図が明らかでない。もっとあからさまに言えば、青空のある「マルタとマリアの家のキリスト」が美しくなかった、というのが挙げられると思います。「王羲之書扇図」のテキストが絵画と詩であり、一見してわかるような相互関係を持っていたのに対し、「マルタとマリアの家のキリスト」上の青空はいかにも不都合な断片としての役割しか果たしません。「青空」を描いた画人を特定し、その歴史を照らし合わせれば、そこになにがしかの「物語」が立ち現れ、相互関係を示すかもしれません。しかしおそらく、そのような手間をかけるほどに「青空」は魅力的ではなかったのだと思います。
そのようなことを考えたとき、後世に残すフェルメールの絵画を愛した痕跡として、修繕家はクリーニングという痕跡を残したのだと思います。



以上のような考察をしましたが、ひとつ重要なことに言及していません。
それは「大きな物語」化するフェルメールと、それによる周囲への害悪です。

あまりまとまってないのが恥ずかしいのですが、「天才」と呼ばれる画家の害悪は、自由な創作を妨げるものとして立ち現れるような気がしてなりません。それは天才という言葉が、生まれつき備わっている優れた才能を持っている人という意味合いの言葉であるのと無関係ではないと思います。例えば「巨匠」という言葉には生まれつき備わっている才能があったから、大家になったという意味合いは隠されていません。生まれつきか後天的かという重要な問題は「巨匠」という言葉の中では曖昧に隠されています。
フェルメールは「凡才」では絶対にありませんでしたが、独善的な「天才」という言葉はあまり使いたくはありません。「天才」には絶対的な肯定の力と友に使われるような気がしてならないのです。


まとまりにくいので今日はここまで。