chim↑pomの「ピカッ」について

ハロー
Chim↑pomの「ピカッ」についてのことを書きますが、もうあらかた頭のいい人たちがよいことをいろいろ書いてくださっているので、いち美大生としての感想と主観的判断を文字に起こしてみるよ!

なぜ、それがアートであるか――Chim↑Pomの『ピカッ』をめぐって - 地を這う難破船
http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20081027/1225064294
美術館・画廊・書籍メモ Chim↑Pomのピカッ が問題になっている
http://ykringringring.blog111.fc2.com/blog-entry-68.html
被爆三世だけど,「ピカッ」の件について考えたよ
http://d.hatena.ne.jp/miminoha/20081026/1224958014

いち美大生として、chim↑pomは完全に完璧なヒーローで、憧れでヒールで嫉妬の対象なのだけれど、今回の「ピカッ」でもその憧れ度はほとんど変わることがなかったのは、結局のところ彼らが正直であり続けたからだと思います。自分たちの興味と疑問に正直に!
周囲の反対と困惑と激怒を感じ取った上で、我を通せる”強さ”というのが彼らの正直な性質だと思います。あまたある思想という凶器を手に取ること無く、直感とときめきで直線上に進んでしまう彼らに困惑もしますが、同時にかなり嬉しい気持ちもあります。自分たちはまだこんなこともできるよ!といったようなときめきが。

さて、今回の作品は「制作途中」という性質もあって、一概にアート作品として評するのもなんだかなあ、と思うのでごくごく軽く、深刻にならないように書きます。あくまで感想として。
今回のchim↑pomの「ピカッ」は当然ネット上で知り得た訳ですが、その時はだいぶ批判的な立場でした。その後いろんな人の話を聞いて、作品をきちんと想像してみると、案外この作品は具合がいいんじゃないかと思えてきました。

「具合がいい」と思った理由はいくつか。それが「ピカッ」という言葉であったことと、飛行機雲であったこと。
「ピカッ」という文字がなぜ具合がいいか、というのは、広島原爆論争にありがちな「原爆が悪い」という思考を、一度「1945年8月6日、広島に落とされた原爆が悪い」に引き戻せる可能性があるかもしれない、と考えたため。です。原爆論争についてここで深くは触れませんが、硬直した言論空間を回転させるためのショックとして、「ピカッ」は有効な言葉だったと思います。なぜなら、それが死者の効果音だと思うからです。
どこかのブログに「彼らは原爆を軽視している。効果音として”ピカッ”は軽すぎて、その後に”ドン”という衝撃音が入らないのはおかしい」というコメントを拝見しましたが、自分が想像するに「ピカッドン!」は原爆が落ちた後も生存している人の感覚なんじゃないかと思います。原爆が落ちた瞬間に、例えば原爆ドームの周辺にいた人たちの最後の記憶は、「ピカッ」で終わってしまったんじゃないかと思います。あくまで生者としての貧相な想像でしか無いけれども。
原子爆弾爆発の瞬間の想像をすること。全身を火傷した被爆者たちの話題はとりあえずほかの賢い人たちに任せて、爆発の瞬間”までを”想像すること。それはこの先戦争を起こさないためのひとつの契機となる考えだと思うのですが、どうなんでしょうか。
もうひとつ、飛行機雲という素材について。chim↑pomが広島の空を使ったのは、もちろん「1945年8月6日、広島に落とされた原爆」に言及するために広島の空を使うしかなかったのだと思うのですが、そことは別に、飛行機雲というのは少しだけ不思議な素材だと思います。主張はするけど残らない。最後の文字を書くうちに最初の文字が霞んでいく。
たぶん、おそらく、chim↑pomの「ピカッ」が映像作品として完成し、「ピカッ」の文字を飛行機がたどたどしく描き出す光景が見れたなら、いろいろな疑問や美や怒りとかいったものが、ゆるゆると溶け出すような予感があります。少しだけ無理して描く飛行機雲と、苦労して描いた端から消えてしまう儚さと、文字を描き出す飛行機の、B-29の機影にも似たきらめきで。



ここまで書いて見返してもひどい文章だと思いますが、美大生である自分がこれ以上正直な文章が書けそうにないので、こんなところでやめておきます。もし映像が完成したら見てみたいよ、と。それだけ。