関谷あさみとかその他

今日はアダルトコミックの話です。
苦手な人は回れ右。




関谷あさみ「YOUR DOG」

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4871829952/tamagomagogoh-22/ref=nosim/
援交少女とそれを映像に撮って売っている男の関係の物語。
最初の関係で少女は処女を失う。そのシーン。
男の場面にモノローグは無い。正しく書けば、男の身体上に現れないモノローグは書かれていない。行動と反対の働きをするモノローグは”同時に”描き出されず、心と体が素直に連動している。また、発言もモノローグとは乖離しておらず、平面的/表面的に描かれる男の「割り切った」感情。渇いたセックス。
対して後半、同じシーンを繰り返す中での少女のモノローグは破瓜の痛みと「さっきの血の色みたいに、ドロドロでうまくまとまらない」思考の、言葉にならない言葉が黒の背景で白抜き文字。行動とモノローグは乖離していて計算的。湿ったセックス。
痛みの嫌悪以上に大事なのは乾きが収まる瞬間で、”ドロドロでうまくまとまらない”感情はそのうち「すき」という言葉に集結する。多分その一言だけで表される感情はとても狭くて温いものだけれども、繋がりと絆はどうにか存在して、男の乾きを止めることができたのかも。

東山翔「Gift」

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4863490402/ref=sr_1_1?ie=UTF8&redirect=true&s=books&qid=1228067617&sr=8-1
「Gifted」という表現は例えば「絶対可憐チルドレン」にも出てきた表現で、生まれついて特別な能力を与えられた人のことを指すけれども、おそらくこの言葉は、今後も(この国では)子供に対してしか使われない。「二十歳過ぎればただの人」じゃないけれども、大人の「生まれついた才覚を持つ人」にはもっと適当な言葉が存在する。わざわざGiftedと名付けるのは、名付けた存在が「見守る」存在だけだと思う。

天才少女と義兄の関係の話なのだけれど、少女は義兄をお兄ちゃんとは呼ばずに「俊」と名前で呼ぶ。と、いうのはアダルトコミック内で「義兄×義妹」というのが記号化されて消費されまくっているので、強調する理由が表立っては存在してないからだと思う。「身体と精神の不一致」的なテーマはここでは結構どうでもよくて、重要なのは少女が極めてニンフォマニア的に、性に貪欲になっていく点だと思う。


ここでとてもつまらない考えを書きます。
自慰の道具として作られるアダルトコミックのなかの少女たちは、作者の自画像だという話。こんなことは古来から美術で言われている「鏡」の問題に立ち入るのだけれども、いま資料が手元にないので深く立ち入るのはやめにする。
重要なのは、この考えの文脈では自分が「Gift」より「YOUR DOG」の方が価値があると考えることで、それは二つの作品がモノローグと行動の不一致さと、それをハッピーエンドにどう繋げるか、という共通のテーマに依存していることに由来します。
彼女たちのモノローグは往々にして作者の本音であり、それを見る人たちの本音です。彼女たちがニンフォマニアなのはそのためで、性欲を持って対峙する鏡は当然、性に貪欲になる。私が価値を感じるのはそのモノローグと建前(行動)をどうやって一致させて幸福になるかという物語の動向で、「YOUR DOG」はそこを恋愛の成就という経験を通じてひとまずの完成を得る。だけれども、重要なことはそれが「完全なるハッピーエンド」ではないことで、ここが「Gift」との違いだと思う。
「完全なるハッピーエンド」は物語の中の社会に認められる、というかたちで現れる。「YOUR DOG」がそれを望まず、表面的な問題が何も完成しないままエンドを迎えることは多分とても重要なことで、自慰の対象としてのコミックを暗に示している。
要するに、このような漫画を読んでも現実は何も変わらない、ということ。

これはとても重要なことで、多分反論する人は多い。ただ、ここで書きたいことは「その表現の無力さを自覚すること」がその表現をバロック時代から実験時代へと進ませることができるのかもしれない、という自分の勝手な妄想で、「YOUR DOG」がロリコン表現の『まま』自慰コミックとしての立場をエンドクレジットできたのは価値になるんじゃないか、ということ。

考えはうまくまとまらないけれども、まずはバロック時代や実験時代について。

形態としての美術

ロリコン漫画」と言われるジャンルの歴史に全く明るくはないけれども、それがもしこれまでの美術様式と同じように辿るのなら(そしてまだニーチェが必要とされるのなら)次のような表現形態を辿ると思う。

1、実験時代(l'age experimenta)
 完成されてない物、状態
2、古典的時代(l'age classigue)
 様式が完成美を決定した時代
3、洗練の時代(l'age du raffine ment)
 表現の豊かさが洗練された時代
4、バロック時代(l'age du baroque)
 表現が自己本来の本質から脱して広がる時代(過剰に)

形態は1〜4を繰り返す。
美術の例を書けば、B.C.5以前からヘレニズム期にかけてのヨーロッパ近郊の美術変化や、11世紀の初期ゴシックから15世紀初頭までの後期ゴシックにかけての形態がこれに該当するようです。授業で習った。
現在、敢えて「記号化された」と冠する”ロリコン漫画”はバロック時代に入り始めたのかもしれない。「よつばと!」「GUNSLINGER GIRL」「苺ましまろ」を見てると、記号化された少女たちの様式美は形態を超えて、別々のジャンルに薄く広がりを持ち始めた予感を持つ。「かわいらしさ」という様式を抱えたままで。
現在の形態変化を鑑みれば、そこまで単純ではないことはわかっているけれども、(ばらスィーの絵面の変化や、さらに言えば”ぼのぼの”のいがらしみきおの絵面の変化も追わなくてはいけないと思う。)いま現在の一般、アダルト漫画を見ていても、ひとくくりに様式だけで”ロリコン漫画”と名付けるのは少々乱暴な気がする。
だからといって、新しい名前も思いつかないけれど。


「YOUR DOG」の話に戻ります。
シリアスな物語として、少女と男がハッピーエンドを迎えるために整理しなければいけないのは少女を「食い物にしていた」男のモノローグで、前に書いた通り、男はモノローグを直接行動に移す。(モノローグと行動が直結している)それは彼女を映した映像を回収する、というケジメの付け方で、それをもって物語は一応ハッピーになる。
ただ、ハッピーになった後も少女は男以外の周囲になじめず、男は少女と「まだ、つきあってない」と彼女性を否定する。幸せな予感を漂わせて幸せを否定するのは少しちぐはぐだけれども、それはとても現実的な価値を持ち得ると思う。
「期待して、なおかつ期待しない」

男は過去に「理奈」という彼女と同棲していて、それが失敗したという経緯を持つ。「優しくすると優しくされる」という野生の直感が外れてしまったときに、男はどうしようもなく乾いてしまう。その乾きをうずめたまま、お金の関係で援交少女たちと関係を持ち、乾きを埋めるのに野生の直感を裏切り続ける。
簡単に言えば「期待しない」生き方を選択していて、それはどっちにしろとても極端な生き方だ。相手を信頼して期待し続ける生き方と、相手を信頼せずに期待もしない生き方。「YOUR DOG」が言いたいのはそういうバランスの悪い世界の接し方ではなくて、「期待して、期待しない」生き方が一番「乾かないん」じゃないかということで、だからこそ価値になっている。
哲学でいえば、アポリアな生き方。
同一の問題に対して相反する二つの合理的な回答。

ゴージャス宝田キャノン先生 トばしすぎ」

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4861055024/tamagomagogoh-22/ref=nosim
たぶん「Gift」はこっちの文脈で語られた方が価値が上がると思う。
シリアスであるからこそすごく笑える作品。きちんと考えるのもめんどくせえけどまあ書きます。「YOUR DOG」では何となくしか描けなかった社会と自分の関係性ですね。
ストーリーは30歳で売れないエロ漫画家と少女で超売れっ子エロ漫画家の完全なるファンタジーで熱血な話。エロとはかくあるべきであってさもありなん。といった話が緩急をつけて繰り広げられます。この話がハッピーエンドを見つけるために必要なのは、充足している状態と足りない状態のどちらが幸せか、という問題に気づくことがまずひとつのフェーズで、それは「社会からの要請」というショックによって与えられます。おたくでないオタクには結構耳の痛い話。
次のフェーズで、エロ漫画家で30男のルンペン貧太は「エロ漫画家になりたい」という当時の夢を思い出し、「情熱」というちょっと陳腐な言葉を手に入れます。この物語も「YOUR DOG」と同じような、問題は何も解決することなく、ヒーローの精神変化が起こり、幸せな予感を漂わせてエンドマークを迎えます。
ただ、ルンペン貧太が「締め切りギリギリに漫画を描いて来る」という社会的に達成された結果があるので、「YOUR DOG」とは少し違うかもしれません。(YOUR DOGの中では少女の援交映像は完全に回収されきれていない)そこにある幸せの予感というのは、具体的に前に進んでいける期待、というようなものです。それは直接コミックへの信頼に繋がっています。
エロ漫画家を題材にしたことで、「キャノン先生」では物語内でメタ的にコミックへ言及する場面がでてきます。そこにあるのはコミックが人を変える具体的な希望と羨望です。こうした力強い希望や羨望は、形態として洗練の時代に多いように思えます。盛期ゴシックの後の黄金の時代のように、「キャノン先生」には夢と希望が溢れています。

と、いうことでこの文脈では価値がほとんど上下しません。コミック中の「僕が凄いと思う作家はなりふり構わない体温を感じさせてくれる人です」という表現に素直に賛成するし、「キャノン先生」はそういった意味でとても体温を感じる作品だと思います。「Gift」がこの文脈で価値が上がるのは、それがとても丁寧な体温を感じるからであるし、ここでの価値は結構無意味なものになる可能性があるので以下略。


なんかずいぶんと長々と書いた気がするけれども、まあいいか。
今回初めてアダルトコミックというのを買いました。
こんなにでかくて重いんだね。知らなかった。


女の子のかわいさに負ける男もまたかわいいよね。関谷あさみ「YOUR DOG」 - たまごまごごはん