童子


(via http://antoinetta.tumblr.com/post/42249683/via-beyourpet)



昨日眠くてゲームの話が途中で終わってしまったのだが、一番書きたかったことはアレだ。「子供向け」っていうジャンルが恐ろしく大変なジャンルなんだなあ、とか思った。ってことを書きたかったんだ。

あの加藤が好きだったらしいテイルズというゲームを通じて。

テイルズオブエターニアをたまたま貰ったのでやってみたのですが、自分自身の感想としては結構つまらないものでした。
ただ、テイルズオブシリーズはマーケティング対象が中高生ということで、もう対象年齢じゃない自分が面白いワケないよな、というのはさておき。
なぜそれが「つまらない」のか、ということと、教育的なもの(ゲーム)がどうあるのかという考察を少しだけ書いてみる。(これが願わくば少年/少女マンガの言説と接続できたら嬉しいけども。あと「あるべき」というのは今回は考えずに、「どうあったか」だけを考える)



考察対象はテイルズオブエターニア
まずは教育的と思える部分から。
「」の中は後々分かってくる属性を最初から簡単に記述。

序盤、「過去にトラウマを持つがために、他人に病的なまでに尽くす」少女ファラが見知らぬ少女を見つけ、(言葉が通じないために)交流するために方々をつれ回す。「無気力である主人公」リッドはそのファラにつきあって方々を旅する。
「異世界人であり、他人に嫌われることを恐れる」メルディは常に気丈に振舞い続けるが、「頭でっかちで体力の無いコンプレックスを抱える」キールはメルディを研究対象にしか見ない。
序盤で主要メンツが揃うが、見て分かる通りだいたいプレイヤー側の感情移入しやすいキャラクターが、ひとりぐらいは見つかる。RPG系ゲームでは王道と言っても良いキャラ配置だと思う。(男女の対比も1対1。男キャラは強くて馬鹿なの、弱くて賢いの。女キャラは強くて儚げ、元気で怖がり。と性格付けの方向性がきちんと定まっている。定番の蓄積はシリーズ物の強みだろう)


中盤、世界を救いたいメルディとその仲間達は王国に助けを求めるが相手にされず、自分達だけで世界を救わなければならなくなる(=まあ単純な構図とは思うけれども、『大人は頼りにならない』を表していると思う)。
途中に(おそらくは尊敬対象&悲劇役であるところの)レイスと言う男キャラも出てくるが男女で受け止め方が違うと思われるので割愛。
勇者達はメルディの話を確かめるため一路異世界へ。大冒険の始まり。
異世界でメルディの交友関係を知り、倒すべき敵とその敵を倒すための力を知る(=目標の設定)。
その後メルディの故郷に帰ると無惨にも敵によって町が破壊され、以前出会った親しみやすい人たちがほとんど殺されている(敵を倒すことの理由付け&敵を倒さなければならない、という目標の再確認)。

力を得るためのリッドの修行。少々長いが、ここが一番重要な教育的な部分と思われるので書き記す。
・食事の原罪(あるいは仕事の原罪)
リッドは狩人で、日々動物を殺してそれを食べて生活している。その『殺す』部分をピックアップした修行。プレイヤーが食べられる側の獣を操作し、『敵側』のリッドに殺されて食べられるまでのくだり。獣は子供の居る家族の最期の生き残り。「生キタイ」というセリフで食われる側の悲劇を演出する。
その修行の後、「忘れないでいてくれたら今まで通り食べていい」は中高生向けのフォローとしてはバッチリ。
・友人の視点(客観視と思いやり)
体力の無いキールをリッドは内心馬鹿にしていたが、そのキール視点となってひとりで戦う時に、友人の葛藤と悔しさをかいま見る。プレイヤーは幼いキールを操作してなんとか二人の友達に付いていこうとする。油断するとすぐ死ぬ。
(ここでファラの過去が語られ、彼女が自分のせいで多くの人を死なせてしまったと考えて悩んでいる様子が分かる)
・敵の視点(倒すべきは何か)
敵ボスキャラは実はメルディの母親なのだが、その母親が暗黒面に堕ちざるを得なかった状況を描く。プレイヤーは母親となって幼いメルディをなんとか守りながら生き抜く。油断すると幼い子供はすぐに殺される。
人にどういった行為をすると恨まれるのか、という悲劇の典型。


終盤、リッドは力を得、精霊たちの加護を得てボスキャラに挑む。闇のボスを光の力で倒すが、世界の崩壊は止まらない。死を覚悟して世界を助けようとする勇者達に、闇のなんちゃらに取り憑かれていたボスキャラ(ファラ母親)が我に返り、最後の力を振り絞って世界を救う。(=自己犠牲カコイイ)
2人の男と2人の女は2組のカップルになって平和な世界でめでたしめでたし。(=良いことしたら報われるぜ絶対!)




教育的なところをピックアップしてみるとこんな感じ。
次に、なぜ『つまらなかった』のか?の考察。

まず第一に、「詰め込み過ぎ」要因があると思う。
中高生時代に学ぶべきことを一通り網羅しようとする全体主義が、逆に個々の事柄を薄くしている原因であると思う。ぱっと見ただけでも、「過去の罪が償われるか」「現在進行中の事柄はどう受け止めるべきか」「相手は何を考え感じているのか」といったようなことが渾然となってテーマが一貫していない。

そしてもうひとつ、致命的なのが「命の軽さ」を感じてしまうところにあると思う。
例を挙げればファラの原罪、「自分の行動の結果、人を沢山殺してしまったかもしれない」という罪の意識は、終盤にリッドの「気にしないで良いよ」というほぼ一言のイベントで簡単に片付けられる。「これまでずっと長い間苦しんできたんだから、もう気にしないで良いよ」というその言葉だけで片付けられてしまうことは、その背後にある「ゲーム内の人の命」が軽く見えてしまう。
さらに例を出せば、メルディの故郷が敵によって壊滅させられ、住人が二人きりになってしまった後の、その村人の「またやり直せば良いさ」というポジティブな発言は、背景の音楽と壊滅した町のビジュアルと、絶望的な不調和を作り出す。
さっきまで死体が転がりまくっていた町の中で、「またやり直すさ」というポジティブなセリフを出すのは、その死体が「何でも無かった」軽いものだと見られかねない。そのギャップは若干混乱してしまうフシもある。
もちろん、リッドの修行で出た「生きとし生けるものを食うということ」にも命の大切さが語られているし、勇者達を庇って死んだレイスの悲劇的な画面は死を印象付けるのに効果的だろう。しかし、それでもなおキャラクター達の生命観が乏しいのは、何もビジュアルだけにあるのではないと思う。


テイルズオブエターニアの考察はこのぐらいで。

しかし、例えば聖剣伝説シリーズは、「生命が存在する」ということだけを単純に純粋に見せているだけで上手い効果を上げているように思える。
まあ聖剣伝説もちょっと考察してみたいものだけれども。


今日はここまで。