石ころ帽子

放蕩息子を読んでなにがしかを思い出したのと、たぶん忘れてしまう事柄が蘇ったので書くことにする。

放浪息子 (7) (BEAM COMIX)

放浪息子 (7) (BEAM COMIX)

中学生の頃、私は石ころ帽子をかぶったことがある。
小学校の時からウザくて顔がダサくてすぐ泣く私は、「痛がり」の弱いヒョロヒョロッコで、いじめとも言えないようないじめの対象になっていたように思う。「思う」というのはそんな記憶が非常に今曖昧で、大体小学生の時の記憶なんてほとんどない。修学旅行も遠足も何も覚えていない。先生っこだった私はそれでも担任の顔と名前をどうにか覚えているけれども、思い出す思い出の人の顔は大抵が空白か真っ黒だ。表情とか細部とかそういう話ではなくて、目と鼻と口が無い、ただの肌色の輪郭がぼんやりと首の上に座っている。そんな人間しか思い出の中に見いだすことができない。今でも人の顔が恐い。一番怖いのは自分の顔だけれども。
辛い思い出は忘れるから次に進むことができるから、たぶんその頃から凄く忘れっぽくなろうと思ったのだと思う。学業も運動も何もできなかった私は、親に叱りつけられながらどうにか勉強をこなして授業に付いていった。泣きはらすのが日課になってしまうと何故泣いているのかが思い出せなくなってまた泣いてしまう。周囲の現状に過敏に反応しすぎているのか、なにが駄目でこうなっているのかがわからない。その頃の私は混乱しているからわからないのではなくて、わかる状態にするスキルを持っていなかったのだと思う。

中学に入学して読書というスキルを手に入れると他の全てを放棄して本の中へ入れ込んだ。物語と物語の隙間、シミの連鎖、事件と冒険とロマンスの溢れかえる本の中は現実の代用品ではなくて、現実そのものだったのだと思う。本の中から現実でなにが起きているか理解する能力を少し獲得すると、現実の状況を打開するために様々な実験を試みる。今日はこのセリフで友達に声をかける、あの人には一日毎に話題をふる、目線をかわすタイミングを少しずつずらす、相槌と話題を発生するタイミングを緩やかにする。
そうして中学二年生の一年間で得た実験結果は中学三年目で生かされた。自分への被害を最大限に食い止める最良の方法。それは何かを問われても「曖昧に笑ってうなずく」ことだ。全ての質問にイエスともノーとも答えずに、道ばたに落ちている石ころになりきることだ。日常という観劇に登場する役者の中で、石ころ帽子をかぶっておけばプラスのイメージも、マイナスのイメージも持たれにくい。その存在が存在してしまうことで、その場の空気がマイナスに傾くことがあっても、何の主張もしなければイメージの悪化は免れる。
願わくば人に触れずに、人の空間に立ち入らないように素早く動くこと。発言は極力短く小さくすること。何かを問われたら即座に反応して、うなずきつつ同じ対応を取ること_つまり「曖昧に笑ってうなずく」こと。それは引きこもって親に叱られずに、学校に行って誰の邪魔をすることもされることも無く、平和で安定した日常を続けるために最良の選択だった。
だからこそ中学三年の一年間は曖昧な記憶さえ全く無い。なにをしたのか、なにを考えたのかは推量によってしか得られない。その期間はたぶん自分は存在していなかったのだとさえ思う。
ただ、その暗闇の記憶の中では穏やかな平和が流れていたのだと思う。

このことも十年後には全く思い出せなくなっている可能性があるのでpost。